中小企業で進めるダイバーシティ&インクルージョン:若手・中堅が担う実践のヒント
ESG経営における社会(S)要素とダイバーシティ&インクルージョン
ESG経営は、環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)の3つの側面から企業の持続可能性を高める取り組みです。このうち社会(S)の側面は、企業の活動が社会や人々に与える影響に関わるもので、サプライチェーン全体の人権、労働慣行、地域社会との関係、そして従業員の働きがいや多様性などが含まれます。
特に中小企業において、社会(S)の要素、とりわけダイバーシティ&インクルージョン(D&I)への取り組みは、単なる社会貢献活動ではなく、企業の成長と持続に不可欠な要素となりつつあります。少子高齢化による人手不足、価値観の多様化、そしてビジネス環境の変化に対応するためには、多様な人材を組織に迎え入れ、それぞれの能力を最大限に発揮できる環境、すなわちインクルージョン(受容・包含)の推進が求められています。
「D&Iを推進したいと考えているが、何から始めれば良いか分からない」「大企業のような予算や専門部署はない」「若手・中堅社員として、どのように貢献できるのだろうか」といった疑問や課題をお持ちの中小企業の担当者の方に向けて、本記事では中小企業におけるD&Iの意義、具体的な実践ステップ、そして若手・中堅社員が担える役割について解説します。
ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)とは
ダイバーシティ(Diversity)は「多様性」を意味し、年齢、性別、国籍、人種、障がいの有無、性的指向といった表面的な多様性だけでなく、働き方、経験、価値観、スキル、思考スタイルといった内面的な多様性も含まれます。
一方、インクルージョン(Inclusion)は「受容」や「包含」を意味します。多様な人々が組織にいるだけでなく、それぞれの違いが尊重され、公平に扱われ、安心して意見を表明でき、組織の一員として貢献できている状態を指します。
つまり、D&Iの推進とは、組織を多様な人材で構成すること(ダイバーシティ)に加え、それらの多様な人材が組織の中で活かされ、それぞれの能力を最大限に発揮できる環境を整えること(インクルージョン)の両輪で進める取り組みです。
中小企業にとってD&I推進が重要である理由はいくつか考えられます。まず、多様な視点やアイデアが生まれることで、イノベーションが促進され、変化への対応力が向上します。また、多様な働き方や価値観を受け入れる姿勢は、優秀な人材の採用や定着に繋がります。従業員が自分らしく働ける環境は、働きがいやエンゲージメントを高め、生産性向上にも貢献します。さらに、社会からの信頼を得る上でもD&Iへの取り組みは重要視されています。
中小企業がD&Iを始める第一歩
限られたリソースの中、中小企業がD&I推進を始めるためには、無理なく実行できる範囲から着手することが現実的です。具体的な第一歩として、以下のステップが考えられます。
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現状理解と課題特定
- 「多様性」をどう捉えるか定義する: まずは自社にとっての「多様性」をどのように捉えるか、話し合いの中で共通認識を形成します。最初は性別や年齢構成といった分かりやすい指標から始めても良いでしょう。
- 従業員構成を把握する: 現在の従業員の年齢層、性別比率、雇用形態、勤続年数などをデータとして把握します。可能であれば、障がいの有無や外国籍社員の状況なども確認します。
- 従業員の「声」を収集する: 働きがいに関する課題、キャリアに対する考え方、職場環境への要望などを、アンケートや個別面談、少人数の意見交換会などを通じて収集します。ハラスメントや不公平感といった潜在的な問題に気づくきっかけにもなります。
- 課題を特定する: 収集したデータや声を分析し、「どのような多様性が不足しているか」「多様な人材が活躍する上でどのような壁があるか」といった具体的な課題を特定します。例えば、「女性の管理職が少ない」「子育て中の社員が働きにくい」「外国人材の受け入れ体制がない」などが挙げられます。
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無理のない目標設定
- 特定した課題に基づき、まずは一つか二つ、具体的な目標を設定します。目標は定量的なもの(例:3年後の女性管理職比率を〇〇%にする)と、定性的なもの(例:全従業員が働き方の相談を気軽にできる環境を作る)の両方が考えられます。
- いきなり大きな目標を設定するのではなく、「まずは〇〇という取り組みから始めてみよう」といった、実現可能性の高い小さな目標から始めることが重要です。
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小さく実践を開始する
- 設定した目標に向け、限られたリソースでできる具体的な行動を開始します。
- 情報提供: D&Iの重要性や、自社で取り組む内容について、社内報や説明会などで分かりやすく伝えます。
- 既存制度の見直し: 就業規則で柔軟な働き方(テレワーク、時差出勤など)が可能か、育児・介護休業制度は形骸化していないかなどを確認し、必要であれば見直しを検討します。すぐに改訂が難しければ、「まずは相談しやすい雰囲気づくりから」といったソフト面でのアプローチも有効です。
- 社内コミュニケーション促進: 部署を越えた交流の機会を設けたり、異なるバックグラウンドを持つ社員同士が安心して話せる場を作ったりします。
- 教育・研修: ハラスメント防止研修やアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)に関する啓発活動などを実施します。外部の無料セミナーやオンライン教材なども活用できます。
限られたリソース・予算でD&Iを推進するヒント
中小企業がD&Iを推進する上で、予算やリソースの制約は大きな課題です。しかし、工夫次第で効果的な取り組みは可能です。
- 既存のリソースを活用する: 新たな組織や制度を作るのではなく、既存の会議体(例えば月次の全体会議や部門ミーティング)の中でD&Iに関するテーマを取り上げる、社内報のスペースを利用して情報を発信する、といった形で既存のリソースを有効活用します。
- 行政や団体の支援を利用する: 国や自治体、商工会議所などがD&Iや働き方改革に関するセミナー、相談窓口、助成金制度などを提供している場合があります。これらの公的な支援情報を収集し、活用を検討します。
- デジタルツールを効果的に使う: コミュニケーションツール(Slack, Teamsなど)を活用して情報共有や意見交換を活発化させたり、オンライン会議システムを使って柔軟な働き方をサポートしたり、クラウドベースのアンケートツールで従業員の声を収集したりと、比較的安価に利用できるデジタルツールがD&I推進に役立つ場合があります。
- 外部パートナーと連携する: 社会保険労務士に就業規則の見直しを相談する、D&I推進を専門とするNPOやコンサルタントの初回無料相談などを利用してアドバイスを得るといった方法も考えられます。
- 従業員のアイデアを募る: D&I推進は特定部署だけの課題ではなく、全従業員に関わるテーマです。「もっと働きやすくするためには?」「どんな違いを活かせるか?」といった問いを投げかけ、現場からのアイデアを募集する仕組みを作ることも有効です。
若手・中堅社員が担うD&I推進の具体的な役割
ESG経営、特に社会(S)要素への関心が高い若手・中堅社員は、D&I推進において重要な役割を担うことができます。経営層を動かす大きな変革は難しくても、現場レベルでの小さな実践を通じて、組織文化の醸成や具体的な環境改善に貢献することが可能です。
- 現場の「声」の吸い上げと共有: 日常業務で感じる課題や、同僚からの働き方に関する悩みなどを、正直に、かつ建設的な形で上司や経営層に伝える橋渡し役を務めます。1on1ミーティングなどを活用し、自身の考えを伝えることも有効です。
- 小さな改善提案と実行: 「会議の時間を工夫すれば子育て中の社員も参加しやすくなるのではないか」「リモートワークでのコミュニケーションを改善するために〇〇ツールを使ってみては?」といった、現場目線での具体的な改善提案を行います。そして、許可が得られれば、小規模なトライアルを企画・実行してみることもできます。
- D&Iに関する情報収集と発信: 外部のD&Iに関する情報を収集し、社内報やイントラネットなどを通じて他の社員に分かりやすく共有します。良い事例やデータを示すことで、社内の関心を高めることができます。
- 社内イベント・研修の企画協力: D&Iをテーマにした社内イベントや勉強会の企画・運営をサポートします。外部講師を招くのが難しければ、社内の有志でテーマについて話し合う会を企画するなど、手軽にできることから始められます。
- ロールモデルやアンバサダー: 多様な働き方や価値観を体現し、他の社員のロールモデルとなることも重要な貢献です。育児と仕事を両立する姿、多様なバックグラウンドを持つ同僚と積極的にコミュニケーションを取る姿などは、周囲に良い影響を与えます。
- データ活用の推進: 従業員アンケートの集計・分析を手伝ったり、退職理由や休職理由の傾向を把握したりするなど、データに基づいて自社のD&Iに関する課題を特定する作業に貢献できます。
D&I推進の成功事例とヒント
中小企業におけるD&I推進の具体的な事例をいくつかご紹介します(特定の企業名ではなく、一般的な取り組みの例として提示します)。
- 働き方の柔軟化: ある製造業の中小企業では、一部の事務職や設計部門でテレワーク制度を導入しました。これにより、遠方に住む優秀な人材の採用が可能になったほか、育児や介護との両立がしやすくなり、従業員の定着率向上に繋がりました。また、時間単位有給休暇制度の導入なども、多様なニーズに対応する上で効果的です。
- 多文化共生: 食品加工業のある中小企業では、外国人技能実習生や特定技能外国人を受け入れています。多言語対応のマニュアル作成、宗教・文化に配慮した休憩スペースの設置、母国語での相談窓口設置などを行った結果、外国人材の定着が進み、慢性的な人手不足の解消に貢献しています。
- 障がい者雇用: あるIT企業では、障がいの特性に応じた業務の切り出しや、リモートワーク環境の整備、定期的な面談によるサポート体制構築を進めました。これにより、高い専門性を持つ障がいのある方の雇用を実現し、新たな視点を組織にもたらしています。
- 女性活躍推進: 建設業のある中小企業では、女性社員向けのキャリアアップ研修や、現場での意見を吸い上げる座談会を定期的に開催しています。また、女性の活躍を推進する企業として自治体から認定を受けることを目標に設定し、社内外への発信も強化しています。
こうした事例に共通するのは、「まず現状を把握し、小さな目標を設定して、できることから実行に移している」という点です。最初から完璧を目指すのではなく、従業員の小さな声を拾い上げ、一つずつ改善を積み重ねていく姿勢が重要です。
また、多様性が組織のパフォーマンスに与える影響を示すデータも存在します。例えば、経営層の多様性が高い企業ほど、そうでない企業に比べて財務パフォーマンスが高いといった調査結果などが報告されています(出典:マッキンゼー・アンド・カンパニー「Diversity Matters」2015年)。もちろん、これは相関関係を示すものであり、単に多様であれば成果が出るわけではありませんが、多様な人材を活かすインクルーシブな組織文化が、企業の競争力強化に繋がる可能性を示唆しています。
推進上の課題と乗り越え方
D&I推進には、社内の無関心や抵抗、既存の慣習との衝突といった課題が伴うことがあります。
- 「なぜ今D&Iなのか?」という疑問への対応: D&Iが単なる流行やきれいごとではなく、人材確保、事業継続、顧客ニーズへの対応といった自社の経営課題解決にどう繋がるのかを、データや具体的な例を用いて丁寧に説明することが重要です。
- 既存の慣習や文化との衝突: 長年培われてきた企業文化や働き方を急に変えることは困難です。まずは小さな行動から始め、成功事例を共有することで、徐々に理解と共感を広げていくアプローチが有効です。
- 効果測定の難しさ: D&I推進の成果を定量的に測ることは容易ではありません。従業員満足度やエンゲージメントの変化、離職率、採用応募者の多様性の変化といった指標に加え、従業員の意見交換が活発になった、新たなアイデアが出やすくなった、といった定性的な変化も捉えるようにします。
- 根気強く続けること: D&I推進は一朝一夕に達成できるものではなく、継続的な取り組みが必要です。短期的な成果が出なくても諦めず、小さな成功体験を積み重ねながら、長期的な視点で取り組むことが大切です。
まとめ
中小企業におけるダイバーシティ&インクルージョン(D&I)の推進は、変化の激しい現代において、人材確保、イノベーション創出、そして持続的な成長を実現するための重要な経営課題であり、ESG経営における社会(S)要素の強化に直結する取り組みです。
「何から始めれば良いか分からない」「予算やリソースが限られている」と感じる中小企業の担当者、特に若手・中堅社員の方々にとって、D&I推進は決してハードルの高いものではありません。まずは自社の現状を理解し、無理のない範囲で小さな目標を設定することから始められます。そして、現場の声を吸い上げ、小さな改善提案を行い、情報収集・発信するなど、若手・中堅社員ならではのフットワークの軽さや新しい視点を活かして貢献できることは多岐にわたります。
D&I推進は、組織全体の意識改革と行動が求められる取り組みですが、従業員一人ひとりが自分らしく働き、その能力を発揮できるインクルーシブな環境が整えば、それは必ず企業の力となります。ぜひ、身近なところからD&I推進の第一歩を踏み出してみてください。